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長野県弁護士会
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若手弁護士のコラム

 
 
歴史小説のご紹介(川島豊)
2015-07-28
 この欄を使って何を発信しようかと考えましたが、私は歴史小説が好きなので、ここ何年かで、読んでみておもしろかったものをいくつかご紹介します(100%自己満足です)。
 まず、真保裕一著の「覇王の番人」です。主人公は、みなさまご存知の明智光秀。織田信長の配下として重要な地位を得ていた男です。裏切りや反逆の代名詞みたいに言われることもある人ですが、光秀が優れた武人であり、かつ、確かな教養を持った人間であったことは有名な話です。この作品は、戦乱の世に平和をもたらすという夢を信長に賭けながらも「譲れない何か」のために最後は裏切りを決意する、という光秀の内面の葛藤が丁寧に描かれていて、もともと光秀ファンだった私はとても感動しました(本作中で光秀を唆した誰かさんのことも、私は結構好きなのですが…)。
 次に、安部龍太郎著の「蒼き信長」「信長燃ゆ」です(多分連作?なのかな)。主人公は当然信長ですが、「蒼き信長」では、信長の父である信秀の活躍(というか暗躍)と、若き日の信長の成長過程が描かれます。「信長燃ゆ」では、皇室を廃して日本国の皇帝たらんとする信長と、それを防ごうとする朝廷との暗闘が展開します(その仕上げが本能寺の変というわけで…)。有名な明智光秀の連歌の句など、客観的資料について新解釈がされていて、続きが気になってどんどん読み進めてしまいました。いわゆる「キレキャラ」である信長が、ある朝廷の女官にゾッコン恋しちゃう、というストーリーも私は好きです。
 最後に、加藤廣著の「信長の棺」「秀吉の枷」「明智左馬之助の恋」の三部作です(これら三部作の外伝として「安土城の幽霊」という短編集もあります)。1作目は信長の死の真相、特に、史実でも見つからなかったとされている信長の遺体の行方を軸に、推理小説のように話が進みます(果たして信長殺しの真犯人は…|д゚)ゴクリ という感じ)。2作目は、ある業を背負った天下人秀吉が色々苦悩するお話です(説明がだいぶ雑になってきました)。妻の不義が客観的に明らかでも文句がいえない悲哀など、悪いことをすると自分に返ってくるもんだなあ…と思わせる痛々しいラストでした。3作目は、明智光秀の娘婿となった明智左馬之助(秀満)を主人公とするお話で、左馬之助が光秀の娘である倫子に寄せる想い、明智軍からみた本能寺の変、光秀死後の左馬之助の水際立った身の処し方などがテンポよく描かれています。個人的には3作目が最も感情移入できました。
 以上、とりとめもない本の紹介でした。このコラムを書いているときにAmazonをチェックしたら、加藤廣さんの「信長の血脈」という短編集が出ていたことに気づきました(遅い笑)。さっそく買いに行ってきます(=゚ω゚)
 
私のストレス解消法(岩下智太郎)
2015-07-28
 毎日暑い日が続いています。私は長野県で育ち,その後北海道へ進学という経歴で,涼しいところで過ごしてきたので最近の暑さはこたえます。
 さて,このコラムでも,ストレス解消法について書かれていた方がいらっしゃいましたが,私のストレス解消は何と言っても「我が子と過ごすこと」です。私には保育園に通う子どもがいます。私は,子どもが生まれた時に,「できる育児はやろう」と考えました。当時私はまだ修習生で,弁護士は自由業なので何とかなるだろうと思って育メンを志したのでした。今は,保育園への送り迎え,朝・夕,食事を作り,我が子と一緒に食べる日々を送り,それなりの育メンを自負しています。
 いわゆる「いやいや期」の真っただ中の我が子に,いらっとすることもありますが,毎日成長していくのを見ているのは本当に楽しいものです。
 ある日,いつものように一緒に買い物に行った帰り道,我が子が鳥の群れが飛んでいるのを見て,こんな会話がありました。
「鳥さんもお家に帰るのかな〜,これからごはんかな〜」(子)
「そうだね,お家に帰るんだよ。ごはんだね。」(私)
「何食べるのかな〜?」(子)
「うーん,なんだと思う?」(私)
「ん〜・・・納豆!!」(子)
 子どもの考えることは,自由で面白いです。その日の仕事のストレスも忘れられます。
 一方で,子育てはストレスが溜まるのも事実です。私は日中の仕事で,子育てのストレスが解消されているのかもしれません。
 そして,こんな生活が送れるのも,周囲の理解,協力があってこそです。本当に感謝しています。
 
御朱印集め(田中良平)
2015-07-13
 2年ほど前から御朱印集めをしております。
 御朱印とは、お寺や神社を参拝した証にいただけるもので、墨書きと押し印からなるのが一般的です。もともとは写経をしてお寺に納めるといただくことができるものだったそうです。そのようなルーツがあるため、「3回に1回くらいは写経して納めましょう」とか、「お参りの際にはお経をあげるようにしましょう」などと勧める本もありますが、私はいつも、神様仏様の前でしっかりとお参りをして、御朱印料を納め、御朱印をいただいてしまっております。機会があれば写経にもチャレンジしてみたいです。
 私が御朱印集めを始めたのは、デザインの凝った御朱印を紹介する本をたまたま手に取り、一種のアートのような魅力を感じて、自分も集めてみたいと思ったことがきっかけでした。始めてみると、力強くご本尊のお名前を書いてくださるお寺があり、軽やかな筆で社名を書いてくださる神社があり、1つ1つに違った味わいがあって、眺めているだけでも楽しくなってきます。京都八坂神社の祇園祭のように、特定の日や期間だけいただける御朱印もあり、そういった「限定モノ」を集めるという楽しみ方もできます。また、御朱印には参拝した日付も入れてもらえるので、後から見返して、その時々の旅の記憶が呼び起こされるのも、 御朱印集めを始めて良かったと思える点の1つです。
 このように、いただける御朱印自体とても魅力的ではあるのですが、この魅力にはまりすぎて、きちんとお参りをするという部分がおろそかにならないように気をつけています。お祀りされている神仏や、寺社の興りなど、以前よりも気にするようになりました。
 かつて京都に住んでいたときに御朱印集めを始めなかったのが悔やまれますが、あらためて参拝する機会になったと前向きにとらえ、これからものんびりと寺社巡り、御朱印集めを続けていければと思います。
来年の大河ドラマ「真田丸」の舞台である上田市でも、真田氏ゆかりの神社で御朱印がいただけるそうです。興味の湧いた方は、身近なところから御朱印集めを始めてみてはいかがでしょうか?
 
きょうの料理(荒川光広)
2015-07-09
 私は、司法試験に合格するまで実家暮らしでしたが、その後の司法修習生時代、また、弁護士となってからは、一人暮らしをしています。
 一人暮らしは、自分の好きな時間に好きなようにできるのですが、一方で、自分で何でもしなければならないことは言うまでもありません。
 私は、実家にいた頃も、たまにではありますが、料理を作っていたので、
自炊について抵抗はありません。むしろ、某レシピサイト閲覧して、新たな料理に挑戦したり、調味料や調理器具を集めたりすることは、ストレス解消にもなっています。
 ですが、これが毎日となると、手抜き料理すら作ることが億劫になることがあります。特に困るのが、毎日の献立です。たいていは、休日に数日分の食材を買いだめして、それを次の休日までに使い切るようにするのですが、毎日同じおかずにならないように努めるのですが、結局は同じものを作り続けることが多いです。
 このように過ごしていると、世の主婦(主夫)の方々はすごいなと思います。毎日、栄養が偏らないように献立が重ならないように料理を作ることは本当に大変なことだと思います。実家にいた時に、母から「今日の夕飯何がいい?」と聞かれ、「何でもいい」と答えると、「何でもいいはだめだ」といわれましたが、今になるとその意味が分かります。
 一人暮らし「あるある」ですが、実家にいた時は、食事は時間になれば出てきました(もちろん、親にやってもらっているのですが…)。そのような甘い考えが抜けず、誰か代わりに家事をやってくれないかなあと虫のいいことを考えています。
 そんな都合のよいことはなく、いい歳になったのだから実家に帰った時には両親に御馳走でもしようと思います。
 その前に、今日の夕飯どうしよう…。
 
青空(稲葉治久)
2015-06-19
長野も梅雨入りし、すっきりしない天気が続いていますね。真っ青な空が大好きな私は、この時期は何となく、気持ちがすっきりしません。早く梅雨が明けて、真っ青な空が広がらないかと梅雨の時期はいつも祈り続けています。今年はなにか梅雨が長いとの予報も出ており、いつも以上に、早く梅雨が明けますようにと念じている今日この頃です。
また、私は子供の頃から傘を持ち歩くのが好きではなく、かつ折りたたみ傘も所有していないので、雨が予想される日でも傘を持たずに外出するため、ずぶ濡れになることが多々あります。
そして、傘のお話でひとつ。私は、2年ほどアフリカのジンバブエという国に住んでいたのですが、アフリカの人たちもほとんど傘は持ち歩いていない、というよりも持っていません。アフリカも雨季にはよく雨が降るのですが、ほとんどの人は傘は差さないです。どうしているのか!?大人も子供も、スーパーのレジ袋を頭にかぶせて雨をしのいでいます。頭にかぶせただけではしのいでいるとは言いませんよね(*^_^*)
現地の人に聞いたところ、服は濡れてもいいけど、髪の毛だけは濡らしたくないらしいです!!まあ、数名にしか聞いていないので本当かどうか定かではありませんが、、、でも、アフリカの人々の髪の質を考えたら納得もいく感じですが。なんせ、何も手入れしなければアフロになるので!!女性の人たちは特に髪の手入れは念入りにしています。せっかく一生懸命手入れしたのに、雨でぬれて、ぼわん!!は嫌ですもんね。
それにしてもアフリカでは、レジ袋はマルチに活躍しているんですよ!子供たちは、その辺に捨てられているレジ袋をかき集めて、サッカーボールにして遊んでいますし。これが結構ボールとしていけるんです。本当に子どもの発想力はすごいなといつも感心させられていました。物が簡単に手に入らないからこそ、豊かな発想力が生まれるのかなとか考えつつ、「俺も子供の時にアフリカで生活していたら、天才になれたかな!?」とか取り留めもないことを思いながら生活していました。
いつもあのアフリカの真っ青な空を思い浮かべながら、仕事に勤しむ日々を過ごしています。いつかまたあの真っ青な空のもとに戻りたいなと思いつつ、、、
 
音のない音楽の世界(漆川雄一郎)
2015-06-15
 突然、皆さんがマンガ雑誌の編集者から「マンガを描いてください。」と頼まれたと想像してみてください。そのとき、皆さんはどのような題材を選ぶでしょうか?サッカーなどのスポーツでしょうか?自分の仕事でしょうか?恋愛でしょうか?
マンガの題材を選ぶ際には、自分がどのような知識経験を持っているか、どのようなものが読者に受け入れられるか、等々色々なことを考えると思いますが、どうしても外せない考慮要素としてマンガの表現方法の限界があると思います。マンガは、絵を描くことができるし、文字も書くことができますが、映画と異なり音を出すことはできません。ですから、音がメインになるような題材は難しいかなと。
そんな私の常識を覆したのが、石塚真一さんの「BLUE GIANT」というマンガです(他にも音楽を題材としたマンガは多くあると思いますが、私は読んでいませんでした。)。「BLUE GIANT」は音楽のジャズを題材としたマンガです。最初は、「音を出せないマンガという表現媒体で、ジャズを面白く描けるのかな・・」と半信半疑で読んでみました。
しかし、読んでみると本当に面白い。ジャズのことはほとんど知らない私にも、ジャズの迫力が何となく伝わってくる。「何故だろう?音が出せないのにどうやってジャズの迫力を伝えてるんだろう?」と疑問になりました。
 しかし、読み進めていくうちに一つ分かったことがあります。それは、私は、マンガのなかの聴衆を通してジャズの迫力を感じているのだろうということです。マンガではジャズの音そのものを表現することは難しいのですが、ジャズを聴いている人の感動は、その聴衆の表情や言葉で表現することができます。私は、マンガの中の聴衆が、主人公の演奏を聴いて感じたジャズの感動を通して、ジャズの迫力を間接的に感じているのだと思います。
 「マンガでは音は出せないから、ジャズを題材としたマンガは難しい。」という常識にとらわれていたら、このマンガは誕生しなかったのでしょう。表現が難しいから描かないと諦めるのではなく、限られた表現方法の中でも伝える方法を模索し続ける努力に敬意を表します。
 「BLUE GIANT」の主人公は世界一のジャズプレーヤーになることを目指しています。お客に「うるさい!」と怒鳴られても、先生に「なんてゴウマンな奴なんだ!」と言われても、高校の友達に「本当にミュージシャン目指してんのか?」と心配されても、一途に世界一のジャズプレーヤーを目指します。
 興味が湧いた方は、是非一度「BULE GIANT」を読んでみてください。
 
車と家族(山﨑威明)
2014-04-28
 私は、現在、ワゴンタイプのコンパクトカーに乗っている。「ラリー」というモータースポーツが好きな私は、そのベース車両となったこの車をとても好きになって(すねもかじって)購入した。もう10年以上前に購入した車だが、まだまだ調子も良く、最近再び始めたスキーに行く時も、4輪駆動のその車は雪道でも軽快に走ってくれる。お伝えしたいこの車の良い所は沢山あるが、なんにせよ私はこの車がとても好きなのである。
しかし、そんな素晴らしい車であるのに、家族からの評判はあまりよくない。家族といっても、中心は妻と母親からの批判である。主な批判を挙げると、「狭い。」「マニュアル車なので私以外が運転できない。」「燃費が悪い。」「(運転を誤って)田んぼに落ちている車は全て私の車と同じ車である。」などである。最後の批判にあっては、どこから仕入れた情報なのか皆目見当もつかない。
しかし、正直なところ、彼女たちの批判も分からないではない部分がある。私には、現在、1歳になったばかりの娘がおり、チャイルドシートに乗せるには車が狭くて乗せにくいし、将来もし二人目の子供が生まれた場合、私の車がより狭くなるのは必至だからである。
娘が生まれる前は、彼女たちの批判など一蹴してやったのだが、娘が生まれてからは、彼女たちの意見が優勢になり、かなり押し返されている状況である。
しかしである。いくら狭いといってもチャイルドシートも設置できて、家族三人が乗ることには何の問題もないし、二人目の子供については、その子が生まれたときに考えればいいのである。また妻もマニュアル車で免許をとっているのであるから、この機会に再び練習すればいいではないか(運転させたくはないが・・・)。また、燃費が悪いのは運転する人にも問題がある。「田んぼに落ちている」という批判については立証を求めたいところだ(実際に落ちていたのはきっと私の車よりもっとグレードの高いスポーツタイプの車であろう。)。
極めて自分本位な理由であるが、やはり今はこの車で問題はないのだ。
女性陣のみなさんには申し訳ないが、すっきりした気持ちでそろそろ寝ようと寝室に入り横になった。そうしたところ、ふと横をみると私の方向を向いて寝ていた娘が寝ながら満面の笑顔を浮かべてきた。それはまるで、私の心を見透かして、「頑張って新しい大きな車買ってね。」と言いたいようであった。先ほどの決心は一瞬で揺らぎはじめた。
 
雨女(あめおんな)(西尾智美)
2014-04-15
 松本城の桜も咲き、お花見の季節になりました。お天気が気になるところです。
私は雨女と言われます。確かに、出かけて雨が降ることは多いです。
思い出してみれば、小学生の頃、動物園への遠足は、全て雨で中止になりました。中学では、修学旅行に行った際、台風で電車の中に4時間ほど閉じ込められました。高校では、中心メンバーとして企画したキャンプファイヤーに限って雨で中止になりました(その直前の体育祭は決行)。青い海岸線をドライブしたくて行った宮崎旅行は、土砂降りで、灰色の海と空を見てくることになりました。昨年、満点の星空を期待して泊まりで登った常念岳も雨で、厳しい山行になりました。昨日は、晴れていたのでATMに行こうと事務所を出た瞬間、雨が降りだし、15分後、事務所に戻ったらやみました。こういうことには慣れていますが。
もともと雨女とは、雨を呼ぶ日本の妖怪のことで、それが転じ、何か行動を起こすと雨を呼ぶ(雨を降らせる)という女性のことを雨女と呼ぶようになったそうです。「雨女」と呼ばれるということは、妖怪の名前で呼ばれていたということなのですね。
インターネット上には、干上がったダムを一夜で満水にするなど、偉大な雨女のエピソードが色々出ていました(日本雨女雨男協会というものもあるようです)。人の役に立てる雨女は素晴らしいですね。夏場には、是非、活躍して欲しいものです。
そういえば、今年の2月には、大雪のために楽しみにしていた予定が潰れ、事務所の雪かきにかわりました。私にこれほどまでの雨女パワーはないはずなので、2月の大雪は、どなたか別の強力な雨女・雨男によるものでしょうが、もう少し、控えめにして欲しかったです。
今から、広島出張に行ってきます。天気予報は、晴れのち曇りです。さて、雨は降るのでしょうか。
 
私と漫画(藤森誠二)
2014-04-01
我が家には、置き場に困るくらい大量の漫画(コミックス)があります。2年ほど前に購入した本棚はすでに溢れかえり、溢れた分は押し入れに平積みをするもすでに限界。いよいよ下取りに出さなければいけない時期でしょうか。
そんな溢れんばかりの漫画を前にして、ふと、自分にとって漫画とは、と考えてみました。私が初めて購入した(買ってもらった)漫画は、おそらく「まじかる☆タルるートくん」だったと思います。この作品は、週刊少年ジャンプで1988年から連載されていたようなので、単行本を買ってもらったのは私が5〜6歳のころでしょうか(年齢からすると、作品の内容を理解できていたのか甚だ疑問ですが・・)。
それはともかく、5〜6歳から現在までに購入した漫画の冊数をざっと数えてみると、少なく見積もっても優に1000冊を超えています。その多くは、学生のころ親に買ってもらったり、仕送りで買ったりしたものですから、何となく申し訳ない気持ちになるのですが、これらの漫画からは、単に娯楽としての楽しみだけでなく、本当に多くのことを学びました。人生・哲学を学んだといっても過言ではありません。
また、漫画がきっかけでその作品の小説を読むようになり、徐々に漫画とは無関係の文芸書にも手を伸ばすようになり、文章に触れる機会が多くなっていきました。もしも、私が漫画嫌いであったなら、活字に触れることもほとんどなく、法律の本などとても理解できず、今の職業に就くこともなかったでしょう。
最近では、絶版になってしまった漫画を求めて、県内の大手古本屋を巡ったりもしています。諏訪だけではなく、ただ漫画を探しに伊那・飯田・松本を1日かけて回り、東京出張の際には立川や新宿の古本屋に寄ることもあります。絶版になった本でも、インターネットで気軽に探して購入できる時代になりましたが、そんな時代だからこそ、古本屋の隅から隅まで探してお目当ての本に出会えたときの感動は一入(ひとしお)です。また、何巻を持っていて何巻を持っていないのか分からなくなったり、すでに持っている巻を買ってしまったりといった苦い経験も、古本屋巡りの醍醐味です。
本当は、具体的な作品名を挙げて「ここが良い」「これは無い」など語りたいのですが、いよいよキリがなくなってしまいそうなのでやめておきます。
いよいよ平成26年度の始まりです。漫画なんて大人になってから読んでいないという人も、また、漫画は読んでいるけど、近頃新しい作品には手を出していないという人も、新年度ということで気になっている作品や話題の作品を購入されてみてはいかがでしょうか。私も新しい作品に手を出したいと思いますが、まずは家に溢れかえっている愛すべき本たちの整理から始めたいと思います。
 
迷子(宮井麻由子)
2014-03-24
 子どもの頃迷子になることが好きだった。いつもの商店街を端へ端へ歩くとその内に見知らぬ路地になった。分岐があったら分からない方へ行き、これを繰り返す。自分の力で家に帰れるのか帰れないのかというスリルだったのだと思う。良くもなく悪くもない適度の方向感覚を要した。
大人になってもこの癖が治らなかった。仕事帰りに夜道をドライブするとカーナビを切って知らない方へ行く。北へ北へ走って分からなくなっても、どこかで西に曲がりどこかで南へ進みそれから東に行けば元に戻るはずである。
戻ろうとして山道に迷い込んだことがある。夜の山道は静まりかえる闇の世界だった。先程から全く対向車に会わないし、明かりはこの車のライトだけ、街では解けた雪が残り窓越しに冷気が伝わってくる。
進んでも進んでも山道は続き街に戻ることができない。さっきまで心細くなかったのはコンビニや自販機のためで私の強さは関わっていなかった。車内には日常を持ってきているけれどドアの向こう側こそ世界の本当の姿である。今すぐ私はこの車を降りて、冷え切った暗い道を自分の足で歩き出すことがきっと正しいことなのだという奇妙な考えがふと浮かんでくる。
やっと山道を抜け出し、街の明かりが見えたとき心底ほっとした。いつもの24時間営業のスーパーが煌々として迎えてくれた。けれどあの山道に、何か肝心な物を置いてきたようにも思えるのだ。
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