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中堅弁護士のエッセイ

合格発表の思い出(青木寛文)
2011-09-09
合格発表の思い出
青  木  寛  文
 9月8日に平成23年度の司法試験の合格発表が行われたというニュースに接しました。毎年,司法試験の合格発表はニュースになりますが,このニュースに接するたびに,司法試験で6回の合格発表を経験した私は,ほろ苦いというか何というか形容しがたい,何とも言えない感覚になります(同時に,「ああ,夏が過ぎて,秋が来たなあ。」という感覚にもなりますが・・・)。
 ところで,司法試験の他にも,私は,中学受験,高校受験,大学受験でも合格発表を体験していますが,それぞれに,良きにつけ,悪しきにつけ,思い出があります。
 東京の私立中学のような苛烈な試験ではなく,それ専用の勉強など一切したことのない,非常に牧歌的な受験でしたが,私は一応中学受験も経験しています。これは,親がくじ引きを引いて,そのくじで合否が決まるという仕組みでしたので,合格発表は親からもたらされました。自分の「引き」で子の合否が決まるということで,親としては非常なプレッシャーがあったようで,くじを引き終えた親が,非常に興奮して「合格したぞ!」と言って帰ってきたことを鮮明に覚えています。そんな親の気持ちなど子は知らず,という感じで,私自身は「へえ〜,よかった,よかった。」程度の割と冷めた感覚でしたが,このときの親の感覚は今はものすごくよく分かります。
 高校受験の合格発表は,テレビで見ました。長野県は高校入試に対する県民一般の関心が極めて高いこともあると思うのですが,当時は,「高校入試合格発表速報」とかいう番組を,確か長野放送で放映しており,プライバシー保護に神経質な今日ではちょっと考えがたいのですが,名前が書いてある合格者名簿をテレビで流していました(当日の夕刊でも名簿がそのまま出ていました)。高校入試では,当時の自分の力を出し切れなかったという感じがあり,不合格ではないかと本気で思っていたので,高校の掲示板に合格発表を見に行く勇気がなく,テレビでお茶を濁したのです。このときは,自分の名前が目に入った瞬間「ああ,よかった。」というほっとした感覚でした。その日の午後,合格した人は卒業したばかりの中学のクラスに集合となっていた(当時は中学の卒業式の翌日が高校合格発表でした)ので登校したのですが,そのときにクラスメートと対面してお互い「よかったなあ。」と話して握手をしたときに改めて喜びが湧いてきたという記憶です。
 大学入試は,前にもコラムに書いたように,私は2浪しているのですが,2浪目は11の学部・学科を受験し,発表の形態も,郵送あり,掲示板あり,電報ありと様々でした。一番最初の合格発表は郵便でしたが,ここで合格していることがわかったときは,今まで全ての大学入試で落ち続けてきていて「本当は合格者なんていないんでは?」などと自分の力不足を棚に上げて勝手に疑心暗鬼になっていた私は,「大学入試でも合格者は本当にいるんだな。」と実感し,今まで勝手に失っていた大学入試に対する信頼が回復されたような感じで,本当に嬉しかったことを覚えています。
 実際に通うことになった学部の合格発表は,同じ大学の別の学部の合格発表と同じ日に行われ,この発表は両学部とも大学の掲示板まで実際に見に行きました。最初にどちらから見ようか迷ったのですが,志望順位も低い一方で,受験後の感覚としてもそんなに手応えがあった訳ではないA学部の合格発表から見に行くことにしました。そこの発表は番号が載っているだけで名前は載っておらず,心の中で「○○○○番,○○○○番・・・・・・」と自分の受験番号を心の中で唱えながら番号を追っていくと,果たして,その番号が目に入りました。その時は,「嬉しい」とか「やった!」という言葉が浮かぶ前に,体が勝手にガッツポーズをしていたのを覚えています。まさに反射的という感じでした。その結果を受けて,志望順位も高く,手応えもA学部より遙かに高かったB学部の発表を意気揚々と見に行きました。当然受かっているでしょ,という感じで「21215番,21215番・・・」とやはり自分の受験番号を心の中で唱えながら番号を追っていくと,「21255番」はあったのですが,「21215番」はありませんでした。何かの間違いではないかと考え,掲示板を見直しましたが,やはり「21215番」はありませんでした。
 帰り道は,当局が21215番と書くべきところを誤って21255番と書いてしまったのではないかなどと,腑に落ちないという感じで帰路に就き,A学部の合格という嬉しいはずの結果などすっかり色あせて,憮然とした(ここでの「憮然」は,最近誤用されている方の意味と,本来的な意味両方があてはまります)感覚でした。帰ってから,家族には「B学部は駄目だったけど,A学部は受かっていた。」と電話(当時は携帯電話などありませんでした。)で報告したのですが,家族は非常に喜んでくれて,B学部の不合格など全く問題ないという感じでしたので,その反応に救われた感じがしました。
 それから1週間後くらいに第1志望校の合格発表があり,これも現場まで見に行きましたが,この学校はアイウエオ順で受験番号が決まっていて,「青木」である私は最初の方の番号だったので,あっさり名前がないことが判明し,あっさりした気持ちで戻ってきたという記憶ですが,合格発表のインパクトとしてはこれまでお話しした3つの方が思い出に残っています。
 こうして,私は先述したA学部に入学し,卒業もしたのですが,こういう合格発表の思い出のせいか,A学部については,自分を拾ってくれた学部という感じで感謝する一方で,B学部についてはいろいろ感じるところがあります。今の職業的にはB学部の方が縁があり,「寄付のお願い」が来たりしますが,「そう簡単には応じられませんね。」と言う感じで冷淡な対応に終始している今日この頃です。まあ,私などが寄付しなくても痛くもかゆくもないでしょうし,そもそもB学部に合格していたとしてもおいそれと寄付に応じるかは怪しいですので,「これ幸い」という感じのエクスキューズに過ぎないのですが・・・・・。
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